翻訳と辞書
Words near each other
・ シャルリーヌ・ファンスニック
・ シャルリー・エブド
・ シャルリー・エブド襲撃テロ事件
・ シャルリー・エブド襲撃事件
・ シャルリー・ゴール
・ シャルリー・モテ
・ シャルル
・ シャルル (ブルゴーニュ公)
・ シャルル (プロヴァンス王)
・ シャルル (マイエンヌ公)
シャルル (ヴァロワ伯)
・ シャルル (下ロレーヌ公)
・ シャルル (曖昧さ回避)
・ シャルル10世
・ シャルル10世 (フランス王)
・ シャルル1世
・ シャルル1世 (エルブフ公)
・ シャルル1世 (ギーズ公)
・ シャルル1世 (フランドル伯)
・ シャルル1世 (ブルボン公)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

シャルル (ヴァロワ伯) : ミニ英和和英辞書
シャルル (ヴァロワ伯)[はく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はく]
 【名詞】 1. count 2. earl 3. eldest brother 4. uncle 5. chief official 

シャルル (ヴァロワ伯) : ウィキペディア日本語版
シャルル (ヴァロワ伯)[はく]

シャルル・ド・ヴァロワ(Charles de Valois, 1270年3月12日 - 1325年12月16日)は、フランス王フィリップ3世と最初の妃イザベル・ダラゴンの息子でフィリップ4世の弟。ヴァロワ家の祖であり、1328年に即位したフィリップ6世の父である。1284年に父フィリップ3世によりヴァロワ伯に叙せられ、また1297年に兄フィリップ4世によりアンジュー伯に叙せられた。
軍事能力に長け、兄王の起こした戦争の司令官として輝かしい武功を立て続けた。
1300年から教皇ボニファティウス8世の要請で、フィレンツェの内乱を調停するために出かけているが、かえって暴動と混乱をあおる結果となった。
== 家族 ==
1290年ナポリ王カルロ2世の娘で又従妹であるマルグリット・ダンジュー(1273年 - 1299年)と結婚し、2男4女をもうけた。
* イザベル(1292年 - 1309年) - ブルターニュ公ジャン3世と結婚
* フィリップ6世(1293年 - 1350年) - フランス王
* ジャンヌ(1294年 - 1342年) エノー伯ギヨーム1世と結婚
* マルグリット(1295年 - 1342年) - ブロワ伯ギー1世と結婚
* シャルル(1297年 - 1346年) - アランソン伯シャルル2世、アランソン家の祖
* カトリーヌ(1299年)
1302年ラテン帝国の名目上の女帝で先妻の従妹、自身の又従妹であるカトリーヌ1世・ド・クルトネー(1274年 - 1308年)と結婚し、1男3女をもうけた。
* ジャン(1302年 - 1308年)
* カトリーヌ(1303年 - 1346年) - ターラント公およびアカイア公フィリッポ1世(マルグリット・ダンジューの弟)と結婚
* ジャンヌ(1304年 - 1363年) - ロベール3世・ダルトワと結婚
* イザベル(1305年 - 1349年)
1308年にサン=ポル伯ギー3世・ド・シャティヨンの娘マオー・ド・シャティヨン(1293年 - 1358年)と結婚し、1男3女をもうけた。
* マリー(1309年 - 1332年) - カラブリア公カルロ(マルグリット・ダンジューの甥)と結婚
* イザベル(1313年 - 1388年) - ブルボン公ピエール1世と結婚
* ブランシュ(1317年 - 1348年) - 後の神聖ローマ皇帝およびボヘミアカール4世と結婚
* ルイ(1318年 - 1328年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「シャルル (ヴァロワ伯)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.